うなぎコラム

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【鰻料理の歴史】その4

堰
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鰻の養殖

鰻という生物は、海から川を遡上し、川やそれにつながる池・沼・湖などに生息し、成長してまた海に帰り 産卵するというサイクルで生活をしています。
ですが、何かの拍子で(洪水などで)海に帰ることが出来なくなるとその場の主として巨大化してしまうことがあります。

江戸時代よりこの習性に目を付け、川を堰き止め大きな池にして鰻や、鯉、鮒などを生け簀のように 住まわせるという事業がよく行われていたようです。
しかし餌を与えて 育てて行くというわけではなく、あくまで公共事業としての移植であり、養殖と呼ぶほどのことではなかったようです。

鰻の養殖の創始者と言われる人は

 慶応2年  寺田彦太郎  (静岡県福田→愛知県桑名)
 明治12年 服部倉治郎  (東京府深川→静岡県舞阪)
 明治24年 原田仙右衛門(静岡県新居)
       那須田又七  (静岡県舞阪)
 明治29年 奥村八三郎  (愛知県神谷)

などが挙げられるそうです。

これらの方々をみると、養殖の現場として静岡県西部から愛知県東部に集中しています。
現在でも鰻の養殖日本一は奥三河(愛知県の北東)です。
また静岡県も今でこそ生産量では第4位に没落していますが、昔からの産地で、浜松には「うなぎパイ」なる銘菓もあります。

さてリストの一番最初の寺田彦太郎は静岡県磐田郡福田町の庄屋で、 横須賀藩主 西尾隠岐守(神奈川県ではなく現静岡県小笠郡大須賀町)の命によって太田川(静岡県森町~磐田市)の築堤・ 開墾工事を行い、その際に出来た池にウナギ・フナ・スズキ・クロダイ・ボラ等が棲みついたのを見て、 水門を設けて養殖場にしたとのことです。 これは意図的に鰻を養殖したわけではなく奇跡的にうまくいったようです。 彼が計画的な鰻の養殖を始めるのは明治29年に愛知県桑名に移ってからでした。

たまの鰻をいつもの鰻に

今回は「鰻料理の歴史その4」についてお話しました。
ところで鰻の成瀬では、お子様うな丼(1000円)をはじめました。
お子様連れでもお楽しみいただけます。
「鰻の成瀬」が育てた美味しい鰻なら、リーズナブルですから!
皆様にとっての「いつもの鰻屋さん」になれるよう今後も精進していきます。

美味しい鰻でもっと幸せになりましょう!
ぜひいつでも「鰻の成瀬」にお越しください!!

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